【海外生活】オーストラリア在住12年目!住みだすきっかけはワインを飲みすぎたせい!? 在住、その始まりのお話。
今となっては12年も住んでいるので、なんてことないですが、昔はすごく遠くに感じた移住という言葉。
今回は、私がどのように移住に至ったかをお話ししていこうと思います。
オーストラリアに住み出したきっかけ
気になる人も多いのではないでしょうか?
ワタクシ…
もちろんきっかけはあったのですが、
シンプルにお伝えすると、
”成り行き”です。
『オーストラリアが好きだから♡』、なんて、
当時はそんなことは全然ない。
私の10代からの人生設計に、オーストラリアの文字はなかった。
コアラとカンガルーとワニとオペラハウス以外のイメージは全くなかった。
その当時、私がオーストラリアの国自体をそこまで知らなかったんです。
ではそこまでの経緯をちょこっとお話しします。
初めての日本出国、ひとりでイギリスへ!
私は昔から、”海外に住みたい”とだけはずっと決めていて。
私は子供の頃から個性が強かったし、私、ちょこっとはみ出した存在だったと思う。
私自身にちょこっと身体障害もあって、
もっと自由で、普通とか、他の人がどうとか、
そういうのが全く気にならないであろう世界に憧れていたんだと思う!
外国に住むって、私がもう外人で、もう普通とか関係なくない?ってそんな感じかな。
初めて行った海外は、19歳の頃に英語が全く喋れもしないのに、2週間の語学短期留学で訪れたイギリスのボーンマスという街。
全く英語が喋れないまま帰国。
帰国時にまわったロンドンシティーが素敵すぎて、『ここにまた絶対住むんだ!!』と
ひとりでロンドンバスの中で心に決めていた。
2カ国目、アメリカへ!
語学のクラスも日本人と韓国人の友人ばかりと遊び、
住ませてもらった友人にお世話になりまくり。
アメリカでできたアメリカ人の友人はもちろんいない。
何をしていたんだ、って思い返すと痛いけど、旅行感覚でかなり楽しかった自由の国アメリカ。
たまたま友人のツテでボランティアに行く機会があり、在留日本人の老人ホームを訪れる。
ここでオーナーさんと仲良くなり、
まさかの『お仕事のオファー』を受ける。
英語も喋れないこの私が、本当にびっくりです。
ボランティアでの内容は、簡単なお手伝いと、英語と日本語混ざりのお話し好きなおじいちゃんやおばあちゃんの話をひたすら聞いていただけ…
いろいろな条件はあったけど、
お給料は少ないけれど、(ビザサポートと住宅提供あり)
いきなり外国に住むチャンスが訪れた!!
グリーンカードを取得するのは、宝くじ1億円を当てるより難しいと言われるあのアメリカで、期間は決まっているけどお仕事ができるなんて!
早速日本に帰り、介護の資格の取得とビザなどの手続き。
が、今までやったことのない介護の資格。
ナースとはいかなくとも、
命を見届けるかもしれない負担は若き頃の私には不安も重なり、
ビザを取得する障害も色々出てきて…
途中で挫折してしまいました…
その後少し迷想するも、開き直りだけはすっごい早い私。
次は、『イギリスでインテリアデザインが学びたい!』
と、日本でCADのコースにちょこっと通っただけで夢だけを膨らまし、次はとにかくがむしゃらに働く20歳。
英語が話せないので、イギリスでほとんど働く事ができないかも、
学生ビザで働くのにも限界がある。
今思うと滞在費と学費、どこをどう考えても実現できなかった。
その時の私は、計算も計画も明確にできておらず、ゴールが見えないままとにかく働いていた。
親は外国に行ったことのない両親だったので、
知らない世界はとにかく反対、
日本がいいに決まってる、
うちは兄弟も3人、お金持ちでもないし、
金銭面は自分でどうにかするしかない十代の私。
早朝から空港の免税店で美容部員、
週末は結婚式場の着付け補助とコンシェルジュ、
友人のおばちゃんのスナックのヘルプなどいろいろなところで掛け持ちしながら働いた。
友達が働いていたキャバクラにも体験入店に始まり、
次の日お仕事なので最長12時早上がりという特別対応もしてもらって、働かせてもらっていた。
田舎のキャバクラなので、お客様はみんな親戚の付き合いのような暖かさで見守ってもらっていた。
その時お付き合いをしていた彼も、
私の貯蓄計画や収入・支出まで全部見せて、
いなくなってしまうかもしれない私のサポートと理解をしてくれた。
本当にいい人だった♡
あの彼には幸せになってて欲しいと今でも思う。
前置きが長くなってしまったけど、
『じゃあなんでオーストラリアに?』
そんなツッコミが聞こえてきてる予感。
はい、道のりは長かった!
とうとうオーストラリアへ!
がむしゃらにお仕事をしていた二十歳の私、空港の職場の仲の良い先輩に、
『私、海外行ったことないんだけど、一緒に旅行に行かない?』って誘われたことがきっかけでした。
『私はイギリスとアメリカはもう行ったから、行ったことのない英語圏に行こう!』
そんなわけで、準備を開始!
出発日は他の社員さんなどの有給調整で、会社から2週間後かずっと先ならと。
2週間も有給休暇を取らせてくれる会社、
英語の勉強にもなるし、仕事にも使えると、
上司は快く了承してくれました。
しかも先輩と二人同時に。
会社の理解力が素晴らしい!
名前は出さないけれど、日本の真ん中にある空港です!(言ったも同然)
働きやすくて、すごくいい会社でした。
そんな訳で、
すぐに飛行機を探しだします。
行き先候補は、
- カナダ:トロント
- ニュージーランド:クライストチャーチ
- オーストラリア:ゴールドコースト
- オーストラリア:メルボルン
のはずだった…
後輩の私は言われた予算内で航空券を探すも、どこも予算の10万円オーバー。
今は格安航空券などたくさん見つかるけど、そのころは期間が短いと難しかった。
仕方なくいろいろな都市を追加し、2週間という短い準備期間で一番安い航空券を発見!
タイ航空、西オーストラリアのパース 行き、お値段¥98,000!
調べてみると、住みやすい街ランキングの上位に入り、
自然豊かな綺麗な街らしい。
ほう。
こんなところがあったのね。
これは期待大!!
せっかく行くなら、現地の生活がしたいし、短期留学にしてしまおう!
ってことで、ホームステイ先(私のわがままで別々のステイ先)、
語学学校の手配をお願いし、入金をしていざ出発!!
タイ航空でまずはセントレアからバンコクまで!
先輩の知り合いにバンコク駐在の方がいたので、
初めてお会いしたそのお方のすごいマンションに図々しく1泊、
ドライバーさんまでついて、バンコク観光案内までしていただきました。
スタートから楽しすぎて、ウキウキで到着のオーストラリア。
予想している場所とは全然違い、アメリカやイギリスにはない雰囲気や空気感。
なんていうか、開放感がものすごい。
季節的なものもあるけど、空は広くて青いし、人はびっくりするぐらいフレンドリー。
街は歴史的な雰囲気の建築物も入り混じり、街の人はほぼビーチサンダル、今は稀だけどあの頃は素足で街中を歩き回る人もいっぱいいた。
ゆ、ゆるい…
季節が真逆なので、冬場から夏がきた夏女の私は、超がつくほど浮かれた毎日を送っていた。
暑いのに、湿気がないので汗もすぐ乾く!
ベタつきのない爽快な夏!!
滞在予定は2週間。
午前中は語学学校で先輩と一緒に授業を受けて、午後は先輩とクラスでできた友人と公園でバーベキューや透き通ったビーチ、観光も毎日して、楽しすぎた毎日でした。
クラスの子たちはものすごく多国籍で、いろいろな国の友達もいっぱいできた。
有名なワインの産地でもあるオーストラリア、この2週間で今まで飲んだことのなかったワインの味も覚えることができました!
そんな浮かれた毎日を送っていたけど、どんどん帰国日が近づいていく…
悲しい。
悲しすぎる。。
たった2週間の語学学校も終了し、最終日の金曜のクラス後、
毎週のように語学学校で行われている卒業式。
キングスパークで開催される。
パース に訪れたことのある人なら必ず絶対行くであろう観光スポットでバーベキュー卒業式。
なんだそれ。
ワインやビール、お肉やソーセージもみんなで色々持ち寄って、先生から修了書の授与、公園で自由に使えるバーベキュー台でお肉を焼き、みんなでお酒を交わし、芝生でゴロン。
そんな私に、とうとう人生転機の瞬間が訪れる…
人生の転機は、天気が変わるくらい簡単に訪れる
はい、寒いです。
お洒落なことは言えません。
CHINO.です。
酔っぱらったバーベキュー卒業式の話の続きです。
クラスメイトだった日本人の女の子。
日本でグラビアアイドル兼、歌舞伎町キャバ嬢なんてやっていた超美少女とのたわいない会話。
美女:『私、街変えようと思っててもうすぐパース出るんだよね。だから私が出た後のシェアハウス探してる人探してるんだけど、誰か知らない?』
私:『それってどんな家?この後遊びに行ってもいい?』
はい、そんな訳でお邪魔しました。
実際のおうちドーン!
ん?
門構え凄くない?
田舎者の私は、暗証番号で自動で開く大きなゲートに驚いた。
門を潜ると…
ぷ…プール…????
なんという豪邸!!!!!!
入り口脇にジムまでついてる…!!
(運動オンチが恥ずかしいので一回も使っていない)
これに私はぶったまげました。
え…
や…家賃っていくら?
美女:『週$160。』
(当時の簡単な計算で月¥45,000くらい?)
私:『す…住みます!!!!』
お部屋は小さなアパートの一室だったけど、
ベッドと勉強机がついて、キッチンは共有で、
シティーからも近く、バス停が目の前!
なんていい立地!
文句のつけようがない!
(住んでみた後に発覚したけど、夜は少し治安が悪い場所でした)
オーストラリアドルの為替の計算でも、
イギリスやアメリカよりずいぶん安く滞在できるのではないか!!!
語学学校も為替の影響が大きかったけど、今まで行ってきた語学学校と比較しても、
とても安く感じた記憶があります。
『まずはここで英語の勉強をしよっかな。』
そんな軽い気持ちで、その家のオーナーさんとお話しして、
その子が出て私が日本で準備してから帰ってくるまでの家賃を払うことを約束し、
このお家を確保してもらえることになりました!
契約社員で有給いただいてる最中の私は、その時働いていたお仕事に、
卒業式のお酒が抜けまいまま即国際電話。
『オーストラリアで…い…家を決めてしまったので…。
退職をお願いしようと思うので、新しい人を探していただけますでしょうか?』
なんて迷惑な社員!
有給中のお仕事をカバーしていただいているにもかかわらず、国際電話で退職希望を申す。
若気の至りってことで。
あの頃の私は勢いがいい。
しかしあのチャンスがあったから今があるってことで、
迷惑をかけた皆様には感謝しかありません。
お土産を大量に買って、退職届と一緒に上司へのご挨拶、
副業の職場とお客さんと、家族にも出発の報告。
ワーキングホリデーのビザもびっくりするくらい簡単に取れて、
1ヶ月ほどでパースに戻ってきました!
本格的にオーストラリア生活のスタート!
本当は、3ヶ月くらい英語を勉強して、その後にイギリスに行こうと計画していた。
上の写真にもあるように、私のパース のお気に入りスポットは、ロンドンコートだ。
今となっては、観光スポットすぎて、行かなくなってしまったけど、雰囲気はやっぱり好き。
1年後、まだ語学力中級以下レベルで、イギリスに行ったところで、何ができるんだろう?
まだ21だった私は、まだ年齢的にも余裕がある、貯金は減っていくけど、お仕事も始めていて、延期延期でなんと12年も経ってしまいました。
一番の影響は、ワーホリ中に今の旦那さんに出会ってしまったこと!
恋は盲目ってやつですね。
日本人の旦那さん。
こちらの大学に通っていて、知り合って直ぐに卒業、
現地に住むことを望んだ当時は彼だった今の旦那さんにつられて、
なんだかんだで今に至る。
国際カップルは国際カップルのいろいろなドラマがあると思うけど、
私たちは日本人カップル。
異国民なので、ビザがないことには働くことも、この国にいることもできない。
”永住権”
この大きな壁は私たちのどちらかがいなければ取得することができなかった。
いろいろな苦労もあり、助け合ってここまで来ることができました。
私は2回ほど、『もう日本に帰ろう』って言ったことがあるけど、
諦めずにここに居れるのは、旦那さんの説得があったから。
作ったものを全部美味しそうに全部食べてくれる、
お腹だけが歳とともに少しずつ成長し続けているとってもゆるい、
元ヤンキーだけど今はまーるくなったいい旦那さん。
(褒めてる!)
2度目のイギリス訪問はまだ叶えられていないけど、
今は旦那さんに会えたことと、
この地を私のセカンドホームに出来たこと、
本当に良かったと思う。
まとめ
長くはなってしまいましたが、そんなストーリーで住み出したオーストラリア。
住み出してしまってから色々起こるドラマはまたの機会に、
これから留学を考えている方や移住をしてみたい方、
現在オーストラリアにいる方にもいろんな情報や体験談を共有できたらなって思っています。
そんなWin winなブログを作っていけたらな、って思います!
記事は不定期にアップします!
私、自由なんで!
(ごめんね。)
忘れた頃にでも、またページを覗いてみてくださいね!
ずぼらな日本人が、オーストラリアで奮闘していたり、していなかったり?
オーストラリア流に、この自己紹介ブログを締めたいと思います!
では、またの次のブログでお会いしましょう^^
See ya! xx
CHINO.